ビジネスパーソンが学ぶべき歴史〜大坂の陣〜

本日は珍しく、歴史から学ぶことについて解説したい。

かの孫正義も歴史好きであることが知られているが、社会人が歴史から学ぶことは非常に多い。
なぜなら、物事の本質は時代背景によるものではなく、ある程度繰り返されるものだからだ。

学ぶにあたってだが、歴史のどの部分から何を学ぶかが重要だ。
多くの社会人が、例えばローマ帝国やアメリカ建国、あるいはナチス・ドイツから改革や組織の何たるかを学んだりする。

どの歴史を選ぶかは難しく、また面白いところでもあるのだが、僕は意外なチョイスを読者にオススメしたい。
それは、日本の江戸時代初期に起こった『大坂の陣』である。

その戦国最後の戦いでは、組織や戦い方の本質が描かれているのだ。

『大坂の陣』について

ご存じない方も多いと思うので、大坂の陣の背景や経緯をさらっとおさらいしたい。

大坂の陣は、江戸時代初期に徳川家康(と息子の秀忠)が、幕府の体制を盤石なものにするため、豊臣家を滅亡させんとし起こした戦争である。
豊臣家は秀吉が死に、関ヶ原の戦い以降一大名レベルにまで地位が落ちていたが、依然大きな力を持っており、幕府にとって脅威となる可能性は十分にあったからだ。

当時、世の趨勢はすでに決していて、徳川の世になっていくのは明らかであった。
兵力も、徳川軍は豊臣軍の約3倍。勝てる見込みなど殆どなかった。

一方的に徳川家が勝利すると思われていた戦争はしかし、豊臣家の奇跡的奮戦により一度徳川の兵を退かせ、再びの戦では家康の本陣を蹂躙したのだ。

なぜ豊臣方は善戦できたのか?
僕は、それは『強い組織づくり』の根幹が原因にあると考えているわけだが、以下で詳しく解説していきたい。

命を懸けて

僕は豊臣方の”強さ”について、結論から言うと、各武将たちの『思いの強さ』であると考えている。
普段さんぞ感情論をdisっておいて何だ、という感じだと思うが、結局人は自分の心に嘘をつけないのである。

これは、豊臣方と徳川方の武将の立場をそれぞれ考えれば、すぐに分かる。

圧倒的に不利な豊臣方にわざわざ味方をしに来た武将は、何かワケがあって大阪にやってきたのだ。

例えば、豊臣方で最も有名な”真田幸村(信繁)”は、元々仕えていた秀吉への恩義と、亡き父親(真田昌幸)の浮かばれない思いを晴らすため。
宇喜多秀家の家臣であった”明石全登”は、旧主の赦免とキリスト教の布教。
元四国の覇者である”長宗我部盛親”は、長宗我部家の再興。

みな自分の思いのため、命をかけて豊臣方で戦う決心をしたのだ。

では一方、徳川方はどうだろうか?

メンツとしては、そうそうたるメンバーが集まっている。
”伊達政宗”、”藤堂高虎”、”井伊直孝”、、、

しかし、彼らが大坂の陣にやってきた動機はひとつだけ。
徳川家康に言われて、仕方なく」である。

目的のために命をかけて戦う」か「仕事で来て嫌々戦う」か。
この差が、豊臣軍を善戦させたのだ。

『豊臣方』に惹かれる人々

しかし、豊臣方の思いの強さも虚しく、大坂の陣は豊臣方の連携が上手く行かなかったことや、数の差もあって最終的には徳川方の勝利に終わる。

これは、歴史を振り返った結果論だが、大坂の陣は徳川方が勝利して正解だったはずだ。

今更豊臣方が勝利したとして、その後うまく日本をまとめ上げることなんてできなかっただろう。
間違いなく、戦乱の世に逆戻りしたのではないか。

そのはずなのに、それとは逆説的に大坂の陣で人気があるのは、決まって豊臣方だ。
これは断言してもいいが、大坂の陣のファンはみんな、なぜか豊臣方が好きだ。

当時日本中を敵に回し、勝てば戦乱の世に逆戻りしたかもしれないのに、である。

これはつまり、今も昔も変わらない、大衆の”アツい想いへの共感”だ。
ある時はビジネスで、ある時はスポーツで、人々はみな自分の想いをぶつけているのだ。

最も強い組織は、その想いを上手く集め、扱うことができる組織ではないか。
自分の命を捧げたいと思える仕事をする組織は、どんな大きな企業や社会が相手でも、渡り合っていけるだろう。

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