地毛証明書とか丸坊主とかマジでまだやってんの…

先日のあるニュースが、ネットを騒がせた。
「都立高校の多くが、”地毛証明書”なるものを生徒に提出させている」というものだ。

東京の都立高校の約6割が、髪を染めたり、パーマをかけていないかを調べるため、一部の生徒から入学時に「地毛証明書」を提出させていることが朝日新聞で報じられ、ネット大きな話題になった。
朝日新聞が都立高173校に取材したところ、170校が取材に応じ、全体の57%にあたる98校で地毛証明書が「ある」と回答したという。
多くは保護者が「髪の毛が栗毛色」「縮れ毛」などと記入して押印する形。
幼児期の写真を提出させるケースもあるという。
このニュースに対して、ネットでは、「人権侵害ではないか」などの声が噴出している。これまでも、地毛が茶色い学生や、天然パーマの学生が、学校の指導で不快な思いをしたという体験談は数多く聞かれる。
-都立高の6割で「地毛証明書」提出させる…弁護士「不合理な差別を助長している」
https://www.bengo4.com/internet/n_6057/

これは要するに、頭髪に規則がある学校側が、生徒の「元から茶色やねん」とか「天然パーマや!」という言い分を封じるために(貴重な労働時間を使ってわざわざ)用意したものだ。

僕が在籍していた高校でもそうだったが、このような学校では、定期的に頭髪検査なるものが行われる。
そこで、やれ「髪が長いんじゃないか」だの「染めてるんじゃないか」だのといった攻防が、学校(職員)と生徒の間で行われるわけだ。

一流高校というよりも、自称進学校なんかでとりわけ多いように感じる。
(これに関しては僕の思い込みかも知れないが)

その他、「男子高生は丸刈り」という校則に対して、真っ向から戦う姿勢を見せた生徒の話も話題となった。

男子生徒は全員、髪形は丸刈り。
そんな校則があった愛知県常滑市立の中学校で1988年11月、「僕、髪を伸ばします」と宣言した生徒がいた。
授業で学んだ憲法が「すべて国民は、個人として尊重される」と定めていたからだった。
宣言したのは、常滑市に住む杉江匡(きょう)さん(43)。
宣言の1カ月前、名古屋弁護士会(当時)が県内の別の中学校に「丸刈り強制は人権を侵す」と勧告したことを報道で知った。
丸刈り強制の校則は憲法とそぐわないんだ――と確信できた。
校内では教師の体罰も日常の光景だった。
月に1度の頭髪検査で髪を引っ張られ、「痛いのは髪が伸びている証拠」と言われたこともあった。
-「僕、髪を伸ばします」 校則に1人反発、孤独との戦い
http://www.asahi.com/articles/ASK4T3GQ9K4TOIPE005.html?ref=newspicks

僕自身も学生時代に同様の経験をしたせいもあるからか、この手のニュースは少し気にするようにしている。
そして、その度に少し寂しいような、虚しいような気持ちになる。

その気持ちとは、「いまだにやってんのか」という思いにほかならない。

はっきり言うが、この手の校則はだ。
そして、そんなウンコに何の疑問も抱かず、生徒に繰り返しウンコを投げ続ける学校や教師はキ●ガイである。

理由は明白だ。
このような校則の存在が「意味不明」だからである。
わかりやすく言えば「それって、何か良いことあんの?」ってことだ。
別に憲法がどうとか、人権がどうとか抜かす気は微塵もない。

異論があるのであれば、校則によって頭髪を規則することによる経済的合理性を、ぜひ説明してほしい。
断言してもいいが、そんなものは存在しない。

せいぜい、「若いうちから、社会のルールを体験しとけ」とか「髪を伸ばしたり染めるようなやつはろくでなしだ」みたいな、取ってつけたような精神論しか出てこないだろう。

君はもしかすると、ドン・キホーテにスウェットとサンダルでうろつく金髪のカップル(ときには夫婦)がとても嫌いで、そういった人間になるべきではない、なんて考えているのかもしれないが、それは論理的ではないし、なにより目の前の生徒には関係ない。

といっても、この手の話の法的判断は過去に一度ついている。

2)最高裁の判断
憲法上のいわゆる自由権的基本権の保障規定は、国又は公共団体と個人との関係を規律するものであって、私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものでありません。
ですから、私立学校である修徳高校の本件校則について、それが直接憲法の右基本権保障規定に違反するかどうかを論ずる余地はありません。
私立学校は、独自の伝統ないし校風と教育方針によって教育活動を行うことを目的とし、生徒もそのような教育を受けることを希望して入学します。
そして、(中略)これらの校則は、社会通念上不合理とはいえません。
-修徳高校パーマ退学事件(最判平成8・7・18)
http://ameblo.jp/ut-liberi-esse-possimus/entry-10256470669.html

まとめると、最高裁は「この手の校則に問題はない」としている。
理由としては、「憲法とか持ち出すまでもなく、学校に入学した時点で、校則に同意しているはず。だから、学校の規則には従わなければならない」というものだ。
(ただし、これはあくまで私学の判例である)

とはいっても、校則の解釈内容はツッコミどころ満載だし、リンク先で指摘があるとおり問題点もある。
今同じ裁判をすればどうなるか、少し気になるところである。

ルールを絶対的なものとしそれを守るのか、それとも時代に合わせ作り変えるのか。
これは産業にも繋がる話だ。

ドローンが首相官邸に墜落してから、慌てて規制を作ってドローンを飛ばせないようにしたり、大きなロケットは飛行実験を行えなかったり…
どのようなルール運用が今後重要であるか、日本は今一度向き合う必要があるだろう。

西洋の人にとってルールは作るもの。時代の変化に合わないと思ったらさっさと変える。
一方、日本人にとってルールは守るもの。一度決めたことは守り続けることが美徳と考える文化。
この二つの価値観がぶつかりあえばルールを作る側が常に主導権を取ることはあたりまえ!
(中略)せっかくものづくりの職人芸を突き詰めてもルールが変わってしまえば無用の長物。
またイチからやり直しを迫られ「カイゼン」を繰り返す…それがこの国の姿だ!
-漫画『インベスターZ  6巻』より引用

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