「メルカリ」の現金出品問題にみるもう一つの問題

まさかの連続メルカリ記事の投稿である。
他の話題を期待している人には申し訳ない。

僕自身、メルカリは中古の本を買う時に利用するぐらいで、特にこの問題に執着しているわけではない。
にも関わらず僕がこの問題を扱うのは、いろいろな世相を映しているような気がするからだ。

先の記事で、僕は「メルカリは所詮ツールで、悪ではない」「日本の現金主義脱却のほうが重要である」と主張した。
http://www.sm-walker.jp/2017/04/27/01-241/

これに加えて、もう一つ主張したいことがある。
それは「”お金の本質”について、みんなもっと考えるべきではないか」ということである。

つまり、”お金”について、みんなあまり深く考えたことがないんじゃ?という問題提起だ。
昨日、次のニュース記事を見た時に、この問題が頭に浮かんだ。

人気フリマアプリ「メルカリ」で、衝撃の出品があったと話題だ。
 一般人のTwitterから判明した衝撃の出品。それはなんと「大量の領収書」。一般人が投稿した画像のスクリーンショットを見る限り、百貨店の名前が入った領収書が写っている。送料込みで11000円での出品だったようだ。
 これにネット上では衝撃の声が多数。出品に関しては「センスはあるような」という声は多いものの「これ購入して経費捏造したら普通に脱税では」「本物の領収書なら私文書偽造にもならない、のかな」など、さまざまな意見が出ている。
「以前メルカリでは『現金(旧札)出品』で4万円→4万7300円で落札され話題となりました。その後メルカリ側が『紙幣出品禁止』の声明を発表しています。それから間もなく、今度は領収書ですからね。
-メルカリで「大量の領収書出品」に騒然! 「現金出品問題」から即新たな大問題が誕生?
http://biz-journal.jp/gj/2017/04/post_3240.html

今度の問題出品は領収書だ。
領収書ゲットしてなにすんのって感じだが、答えはひとつしか無い。
自分が所属する会社で経費として申請して、お金を落とそうとしているわけだ。

まぁ、そんなザルな申請が通る見込みのある組織なんて、そこそこ大きい会社か公務員ぐらいのもんだ。
であれば、勉強にしろ就職活動にしろ、一般的に言えばそこそこ真面目にやってた層のはずだ。

にもかかわらず、こういう取引が行われようとしている。
経費で落とすということは、会社のカネに手を付けようとしているということだ。

僕は別に清貧ぶって「会社のカネを利用するなどけしからん」と言いたいわけじゃない。
せこせこと領収書を集めるという行為が一般的なものであること、そしてそれを見越して出品するという事案が発生することに違和感を感じるのだ。

”違和感”という表現をしたが、僕にはその正体がわかっている。
それは、人間が、自分たちの生活を便利にするはずのお金に”惑わされている”状態のことだ。

惑わされている。
つまり、本質を掴めていないのだ。

お金の本質

では、お金の本質とはなんだろうか。
話を振っておいてだが、これは非常に難しい問題である。

偉そうに講釈を垂れている僕も、本質を掴んでいるとは思っていない。
実際、僕は金持ちでも何でもない。

ここで大事なのは、”本質”という考え方だ。
少し噛み砕いて言えば「テキトーにお金を扱うことをやめる」ということである。

愚痴やスキャンダルしか話に上がらない飲み会に、行く必要がどこまであるのだろうか?
そしてその飲み会のお金は、会社のお金を使うべきなんだろうか?

自分の周りを流れるお金について、もう少し真剣に考えても良いのではないだろうか?

お金の本質については、非常に哲学的な問題でもあるので、答えは各個人色々とあるだろう。
僕が支持したいのは、”お金は信用を数値化したもの”という考え方である。

仕事やカネで失敗し、いつまでも悪い環境から抜け出せないような人は、環境に負けたのではなく、単純に情報弱者なのだ。
情報弱者だから、カネの本質というものをまるでわかっていない。
おそらくカネを札束か、硬貨の山だと思っている。まったく違う。
(中略)現代では、カネはモノではなく、デジタルデータでも代用できるようになった。
私のように、日常の買い物手段はクレジットカードのみで、ほとんど現金を使わない人もいるだろう。
カードがなくても、カネのやりとりをオンライン上で済ますこともできる。
紙幣・貨幣そのものには何の価値もないことの証明だ。
カネは信用を数値化したものにすぎない。
すなわちカネとは、信用だ。
モノを手に入れる、人に貸す、ビジネスを進めるなど、必要な求めに応じてくれる信用を、国家が数値で保証している。
モノとしての実体なんて、別になくてもかまわない。
信用、それ自体が本質なのだ。
-貧困だと騒ぐヤツは「札束」がカネだと勘違いしている
https://cakes.mu/posts/13889
たくさんの人を引き付けられるような試みをやっていると、「あいつ面白いな」という“信用”がたまる。
稼ぐべきはお金ではなくて信用。
信用さえ稼いでしまえば、後からいくらでもお金は付いてきてマネタイズはできる、というのが僕の考え方です。
実際、それでやれていますし。
(中略)10年前はできなかったかもしれないけれど、今ならちょっとの行動で誰でも信用を元手に稼げる時代になっている。
だから、僕がやっていることは決して「西野だからできること」ではなくて、誰でもやろうと思えば始められることだらけなんですよ。
-キンコン西野「稼ぐべきはお金ではなく“信用”」もはや、それが「仕事」かどうかはどうでもいいんじゃない?
http://wol.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/031600128/032200003/?rt=nocnt

堀江貴文氏や西野亮廣氏らが、この手の発言をすることが多いようだ。
僕も、その考えに賛成だ。

長期的な目線で考えれば、信用のない人間に、お金が集まることはない。
信用がなければ、カネを借りることすらできないし、パチンコで得たあぶく銭なんて一瞬で無くなる。

さらに、お金のデータ化が進んでおり、そのもの自体に価値がなくなっていることは明白だ。

お金は信用を数値化したもの”というのは、あくまで考え方の1つに過ぎない。
だが、本質的な考え方の1つではないだろうか。

最後に

何で人がお金に振り回されてるのかと考えたら、日本に関して言えば”金融リテラシーの低さ”があるんじゃないかなぁ、と思うわけだ。
なぜ金融リテラシーが低いのかというと、それは教育に端を発しているのではないか。

日本の教育カリキュラムから、なぜか金融がすっぽりと抜け落ちているのはつとに有名だ。

日本では敬遠されがちだったマネー教育ですが、海外では、かなり以前からその必要性が重視され、積極的に取り組む国も少なくありません。
中でもマネー教育先進国といわれるアメリカでは、子どもがお金について学ぶのは当たり前。
幼稚園からハイスクールまで、発育段階に合わせたマネー教育の環境が整備されています。
各幼稚園や学校では、経済教育NPO(非営利団体)などの協力を得たマネー教育プログラムを導入。
生徒が実際に株取引を行ったり、企業家や経済人が講師となってビジネスシーンでの旬な話題やこぼれ話を披露するなど、大人も参加したくなる興味深い授業が展開されています。
-子どもたちに生きる力を身につけさせるマネー教育
http://www.13hw.com/special/special02_03.html

その結果として、金儲けが悪とされるのに貯蓄は美徳とされる、ちょっと変な状況を生み出している。
異常に現金主義だったりするのも、前回の記事でも述べたとおりだ。

もしかしたら、国とか政府とかがあえて金融教育を無視することで、サラリーマンを量産→税金でがんじがらめにし、余ったお金は銀行に預けてもらう(=企業の株より、中央銀行がコントロールしやすい状態)というモデルを作ろうとしてるのかもしれない。

でも、そんなことは本当はどうでもよいのだ。

生きていく上でお金にかかわらない人間などありえない。
ともすれば、お金の勉強をしようと考えるのは至極当然なことだ。

そこまで辿りつくよう、普段から思考を止めないことが大切なのである。
考えることをやめた人間に、明るい未来など無いのだ。

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